■和中・桐蔭同窓会に寄せて

卒業年

1943(昭18年)

氏名

小林 朗
 
今年3月(2005年)、一橋大学の加藤哲郎教授が本校で公演され、その中でかって私が作詞した「大正生れ」についてお話をされたそうです。そのようなことでこれに関して一文を寄稿せよとのご下命があり、久し振りに母校の皆さんに紙上で以ってお目にかかることになりました。
 
大正生れは1911年から1926年までの15ヶ年の間に生れた人達です。
昭和の初期から昭和20年(1945年)の終戦を迎えるまでの戦禍の中で、兵隊として出遭わした我が国の壮丁は、すべてこの15ヶ年に包含された大正生れの男子でありました。この間の戦死者は二百数十万人を数えますが、その殆どは大正生れということになります。
大正生れとして育った人間の精神・思想の根幹は、個人は、家庭あっての個人であり、家庭は、国家あっての家庭であり、従ってつまるところ、個人は国家あっての存在であるという認識でありました。国の為に尽すことが個人の喜びであり、この喜びの充足感を中心に、派生的に諸々の感覚が存在していました。
日中戦争に続き大東亜戦争・太平洋戦争などと呼称された戦争は、やがては刀折れ矢尽きるまで戦いつくし、遂には敗戦となり、すでに60年経過しました。
終戦を境にして人々は個人の在り方は何か、を考えるようになりました。国破れて、国に尽すという目標を失った人々は、あらためて個人のことを考えるようになりました。生き甲斐とは何か、何の為に自分があるのかと。やっと生きていることの目的は、幸せを掴むことであると気づいたのです。
それにしても、犠牲となった二百数十万の大正生れの人々の魂はどのように鎮まっているのでありましょうか。また奇しくも生き残った仲間の直面した世相の、空しく哀しい姿に対峙した思いはどのように納まるのでありましょうか。
大正生れの人達は今、79歳から94歳に達しています。この世への遺言か、最後の希望を述べても可笑しくない年齢でありましょう。思えば生かされて来た間の変化は驚天動地であり、その中を喜怒哀楽を共にして漸く自らの清算を終らせようとしています。今はただ、この日本の行く末を案じ、後に続く皆さんの真の幸せを念じるのみであります。
 
今から30年前、私は先ほど申しあげた「大正生れ」という歌を作詞しました。その前言と歌詞を披露させて頂きます。
 
「大正生れ」の言
大正生れの男児、僅か十五ヶ年の間に限られた区切りであり、その短い期間も、あらゆる面で明瞭に区切りされた特別の運命を背負っていた。
大正時代に生れた男児の殆どは、日中事変や、引き続いては太平洋戦争の兵力の中心であった。軍拡と、それに伴う軍略によって、昭和の初期からはじまった戦禍の犠牲となって戦死した二百数十万の兵の殆どは、この大正生れの男児であったのである。
更には戦後の混乱期から立ち上がって、国土復興の原動力となり得たものは、終戦当時に、二十歳から三十五歳に到る大正生れの人間であったことも自明のことであろう。戦後、十年、二十年、三十年と経過した当時の世情を、この大正生れの年齢に加算して夫々に思い遣れば、現在の世界に位置する繁栄日本の存在は、まさに大正生れの力の負荷するところであった。
それにしても、この大正生れの人々の労苦に比例した報いは何であったろうか。
国家の責任は、戦争中も、また戦後に於いても、その身体でもって直接に果たして来た大正人間である。
はたして何によって報われているのであろうか。
ご苦労様との労いの言葉を頂くこともなく、有難うと、その成果に感謝されることもなく、黙って微笑を浮かべているだけの大正生れでよいのかなと、ふと思うことがある。
慰めも要らない、感謝も欲しない、だがせめて、お互いに一緒になって呼応する何かがあってもいいのじゃなかろうか。
それには歌がある。そしてそれも、大正生れの男らしく、終生前進し、尚も励まし合うものでなければなるまい。
やむことを知らぬ男児群、大正生れの心の行進譜を、高らかに合唱しようではないか。
 
「大正生れ」
(一)
大正生れの俺達は
明治の親父に育てられ 
忠君愛国そのままに
お国の為に働いて
みんなの為に死んでゆきゃ
日本男児の本懐と
覚悟を決めていた なあお前
 
(二)
大正生れの青春は
すべて戦争(いくさ)のただ中で
戦い毎の尖兵(せんぺい)は
みな大正の俺達だ
終戦迎えたその時は
西に東に駆けまわり
苦しかったぞ なあお前
 
(三)
大正生れの俺達にゃ
再建日本の大仕事
政治、経済、教育と
ただがむしゃらに幾十年
泣きも笑いも出つくして
やっと振り向きゃ乱れ足
まだまだやらなきゃ なあお前
 
(四)
大正生れの俺達は
幾つになってもよい男
子供も今ではパパになり
可愛い孫も育ってる
それでもまだまだ若造だ
やらねばならぬことがある
休んじゃならぬぞ なあお前
しっかりやろうぜ なあお前 
 
この作品が全国の旧軍関係の方達に愛唱され、大勢の見知らぬ友人が増えましたが、戦死した仲間への鎮魂の歌を作れとのお言葉が出てきましたので、10年ほど遅れて別に、一節を作詞しました。
 
「鎮魂譜」
大正生れの俺達の
別れし戦友(とも)の魂魄(たましい)は
空ならば なお 天翔(あまかけ)り
海ならば なお 水漬(みづき)き揺れ
大地(つち)ならば なお 草むさん
いでや わが友 この胸に 
しかと 眠れや なあお前