歴史ある所沢高等学校
5.所 沢 工 業 学 校
昭和19年(1944)
1月

所沢商業学校の廃止と、戦時体制にあわせて所沢工業学校の設置を旧所沢町議会で採択。

 
4月

学校を「所沢町立埼玉県所沢工業学校」と改称する。
※同校には所沢商業学校(2年生以上)も併設

昭和20年(1945)
3月

校長に小林栄次郎(埼玉県立粕壁高等女学校教諭)が就任。

 
5月

米軍戦闘機B51が3機所沢に襲来、本校も15カ所を被弾する。
※窓ガラス・瓦屋根被弾。その後の空襲により授業中止14回に及ぶ。

昭和21年(1946) 4月

所沢工業学校最後の入学式。
※学制改革で翌年には工業学校併設中学2年生になり、 3年卒業次に は一部所沢高等学校1年に編入

  5月

校舎を所沢町下新井の国有地・元陸軍航空輸送部隊跡地に移転する。
(生徒定員 機械科200名・電気科160名)
※校舎が平地林に囲まれていたため「山の学校」と称した

昭和22年(1947)
4月

工業学校併設中学が開設。
※所沢工業学校3年生が併設中学3年生となる

 
10月

校舎が市街地から遠方のため学校移転陳情書を所沢町当局に提出する。

 
11月

創立50周年記念式典を挙行する。

昭和23年(1948)
3月

最後の所沢町立埼玉県所沢商業学校5年生の卒業式。
(一部は新制所沢高等学校3年生へ編入)

昭和24年(1949)
3月

最初で最後の本校唯一の所沢工業学校5年生の卒業式。
(一部は新制所沢高等学校3年生へ編入)

所沢工業学校 通称「山の学校」正門 「山の学校」にあった池で憩う生徒たち
所沢工業学校 通称「山の学校」正門
〈校舎は旧陸軍航空輸送本部〉(昭和21年)
    「山の学校」にあった池で憩う生徒たち
(昭和22年〜23年頃・深井英一氏所蔵)
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